地震を利用してネットでの誹謗中傷がかまびすしい。
WEBという便利な物が出来、有り難く使用させてもらっているが、それを悪用する輩が居る。人の不幸につけ込んで自分だけがいい目を見ようという輩だ。これはなにもネットだけに限らず全てのものにおいて2面性が言えることだが、便利な物ほどリスクが大きいということだろう。
「人でなし」という言葉が有った。時代劇で金貸しが金利のかたに身ぐるみはいで行くとき等に掛けられる言葉だ。しかし、今何故その「人でなし!」が増えているのだろう。
昔、宮城大学の元学長、林竹二氏が各地の学校を回られて授業をされていた。その方の授業の様子を撮った写真集がある。その中で子どもたちの表情が深い内省と思索の表情に変わって行く過程が撮られている。講義は「カエルの子はカエルだが、人間の子は人間と言えるか?」というテーマ。「人は環境や教育、自らの考え方で天使にでも悪魔にでもなる。」ということを、教えるのではなく、自分で考え、気付く大切さ、そこへ誘う授業のあり方への提言であった。そうであるなら現在「人でなし!」事件が凄まじく増えているということは「人を教え育てるシステム」に欠陥があるに違いない。
現場では昔とは比べ物にならないほどひたすらに様々な手段と努力で教え方を研究し、何とか誰にもわかる授業がしたいと頑張っておられる先生方の姿がある。中には365日とは言わないまでもほとんど学校に出ずっぱりの先生もいる。無責任な輩は教育の荒廃を全て教員の資質の所為にして、教員の資質さえ上げれば教育が良くなると信じて疑わない者が居る。しかしそうであろうか?教育の問題は根が深い。子どもの成長に一番関係している家庭環境は、その家庭が作ったものであるが、その家庭の考え方は政府の方針と連動する。そしてその政府の戦後の教育と方向性が、経済界の要望に基づくものであったということは政府の方針と経済会の方向が全く一貫して一緒であったことは経済会白書等からも明らかである。経済界の提言が100%教育に反映されて来ているということである。その考え方が各家庭に反映され、自分たちの幸せの方向性を、高学歴高収入の方向に求めて来た結果が今の状態である。
その方向を良しとした「熱心な良い先生」が進学に熱を入れその方向が正しいと信じた子どもたちが必死で学んで,知恵ではなく「知識」を蓄積して行った。
今必要なのは本当に教育を良くする方向を、ありとあらゆる方向から考えなければならないということだ。TVタックル等に登場するヤンキーだったことを売り物にするような極端な人々の意見ではなく、本当の豊かな社会とは何か、どうしたら子どもたちが生き生きと生きられる社会や楽しく学べる学校となるのか、学ぶ内容はどう有るべきかということだ。最も大切なことは、経済中心でなく、教育のあり方を中心に考えなければならない。人が人として充実して生きて行くことを第1に考えた教育内容でなければならない。
教育の荒廃は教育基本法に有るとして、強引に改訂した教育基本法。あれから何がどう、良く変わったのだろうか?是非検証して教えて欲しい。民主的でなくやらせ等で、強引に変えられた法にも「民主的な国家」を歌う。
基本法改訂前の教育基本と新基本法の大きな違いは「新」は事細かに表現しており、「旧」は大まかだということである。昔から悪い政治のときは規則が細かく決められる。というが正にそれで、細かく指示しないと不安らしい。
文化を愛せ伝統を愛せ、国を愛せという。しかし愛することは強制できない。愛する人がおり、愛する場所が有り、愛する文化が有るから愛すのである。オカミがいう時それは必ず為政者に都合の良い国体や政府を愛せということである。
便利であり、経済を豊かにすることが人を豊かにすると勘違いしていた社会は、今壊れようとしているように思える。教育のあり方が問われる時代になるだろう。
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Thadeus (月曜日, 23 7月 2012 14:41)
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yamatyubijyutu (日曜日, 13 4月 2014 16:21)
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